多分すぐ飽きる

多分すぐ飽きます

静かに騒がしい夜

「あの、美優…さん?」
 顔が近い。意識しなくても息が顔に触れていることを感じてしまう。
「ちょっと…美優…さん…」
こうして近くで見ると改めて気付くが、この人は本当に綺麗だ。大してメイクをしていないのに綺麗なのは、肌が綺麗で髪が綺麗で目が綺麗でメイクする必要がほとんどないからなんだなぁ、と感心する。
「感心しますけど…、これは、ちょっと」
「…?だめですか?」
「その訊き方はズルいですよ…でも、だめです、こんなこと」
 顔を背ける。
「でも…私はしたいです、だから」
「だからも何もないです…一旦離れて落ち着きましょう、ね?」
「嫌です、楓さんがいいというまで、このままでいますから」
 悪い酔い方だぁ…、と力のない声で嘆く。というのも今の私は、
―—美優さんに、キスをせがまれているのである。

…話は少し前にさかのぼる。仕事終わりにばったり出会ったことから飲みに行くことになったのだが、行きつけの店が満員だったため、私の家で飲もうと提案した。こういうことはよくあるのでさしたる問題ではなかったが、
「何か映画を借りていきましょう」
と言ってしまったのが問題だった。パッケージとタイトルだけ見て、面白そうな映画を何本か借りてきたのだが、これがどれもこれもハードな恋愛映画だったのである。そういうのに耐性のない美優さんは照れ隠しでありえないペースでお酒を煽り、3本映画を見終わったころには机の上には缶、ビンの山が出来上がっていた。そしてとどめになったのは、私の何気ない「キスシーンが濃厚でしたねー」という一言であった。照れる美優さんが面白くて、ついからかってやろうと発したこの言葉に対して、
「そうですね、やりましょうか」
と何かを決意したかのような表情でこちらを向いて、ぼそっと呟いた美優さん。そしてフラフラとこちらに四つん這いで迫ってくるかと思うと、予想以上の力で私を押し倒し、
「キスしてくださいと言ったら、してあげます」
 サキュバスの格好をした美波ちゃんばりの、そんなセリフを口にした。

―—そして、今に至る。かれこれ10数分、私の一方的な防戦が続いている。いじめているつもりだったこちらが、知らぬ間に、しかも多分無意識のうちに、いじめられている。本当に、顔が近い。その気になれば無理やりにでもキスできるものを、そうしないのはきっとこちらの同意を得てからという美優さんのこだわりのようなものなんだろうと、ぼんやり考える。「楓さん、顔、赤いです」
「もうやめましょう、ね?流石に酔い過ぎですよ、そろそろ寝ましょう」
「ダメですっ」
 この調子である。何を言っても通じない感じが彼女の酔いのひどさを物語っている。正直この10数分間で、諦めかけたことが何度あったか分からない。で、でも、ここで負けたら今後にかかわる気がする。それに、私も踏みとどまれない気がする。だって酔ってるし。
「美優さん、本当にやめましょうっ」
 語気を強める。それと同時に美優さんを押しのけ、ようやく正対することができた。
「…どうしてですか?どうして、キスしてくれないんですか?」
 ここまで酔っている美優さんはもしかすると初めてではなかろうか。ここまで恥ずかしいセリフを臆面もなく言う美優さんは初めてである。そしてここまでベロベロな彼女を見ていると、自然と酔いがさめてくる。
「美優さんは酔ってて正しい判断が出来なくなってるんです。第一、女同士ですよ」
「だからなんだっていうんですかぁ…」
 情緒が不安定になっている。はっきり言ってここまで酔ってる美優さんは見たことがない。これ以上はだめだ。
「だからダメです。少なくとも今は良くないです。とにかく今日はもう寝ましょう、ね?」
そういいながら美優さんの後ろに回り込んで半ば強引に彼女をたたせ、寝室に連れて行こうとすると、
「ふふっ、楓さんは優しいですね」
 そう言って振り返った美優さんが、うっとりした目で私の後頭部に手をまわし、

―—ちゅっ。

「…不意打ち、ですか」
「仕方ないからこれで我慢してあげます、おやすみなさい、楓さん」
茫然とする私を通り過ぎ、割としっかりした足取りで寝室へと向かっていった。そして私は、お酒の匂いがする頬を指でなぞり、少し残念だな、なんて思っていたりするのだった。





翌朝、昨晩のことを覚えているか尋ねると、
「えっ、何かやらかしちゃいましたか、私!?」
とかわいらしい答えが返ってきて、私はホッとしているのかがっかりしているのか分からないモヤモヤした心境のまま、朝ご飯をかきこんだ。