多分すぐ飽きる

多分すぐ飽きます

アイドルを始めてから

 アイドルを始めてから、明るくなったと言われます。例えば、雨。昔の私には面倒なだけな存在でした。でも今は、事務所から聞こえる静かな雨音や、水滴に反射してキラキラと光る夜の景色、水たまりの上を通ってザブン、と小気味よい音を立てる自動車のタイヤ、それに雨上がり、まだ雨の余韻を残した街の空にかかる虹―、そんなささいな、意識しないと忘れてしまいそうな様々なものが楽しみに感じるようになりました。そんな私を見て、「なんで美優さんは楽しそうなの?」と尋ねられたことがあります。
 アイドルを始めてから、よく笑うようになったと言われます。というよりは、何気ない事務所内でのやり取りをはたから聞いていて、何の気なしに発されたであろう言葉が妙にツボにはまって噴き出すことが増えた、というのが正しい表現でしょうか。私自身、会話に混ざることもありますけど、その時でもこういうことが良く起こりました。「美優さん、笑いのツボが浅いね~」とか、「笑い方が面白いね~」と言われることはもはや珍しいことではなくなってきました。
 アイドルを始めてから、眠るのが楽しみになりました。明日の仕事について考えるのもそうですし、事務所にいる面々を想像し、明日はどんなことが待っているのだろうかとか、こんなことを話したいなとか、そんなことを考えていると自然と眠りに落ちることができました。「美優さん、なんでそんなに肌きれいなの?」と訊かれたときは、秘訣は睡眠ですよ、というようにしています。
 アイドルを始めてから、ファンレターというものをいただけるようになりました。どれもまっすぐにこちらへの好意と励ましがつづられていて、読んで恥ずかしいと少し思う反面とてもうれしいし、仕事へのモチベーションにもつながっていると思います。私はファンレターを書いたことはないので、こうして自分の気持ちを素直に綴れるというのはうらやましいです。以前、今度楓さんに書いてみようかしら、と考えて1人でニヤニヤしていたところを怪訝そうに川島さんが見ていて、すごく恥ずかしかったです。

 アイドルに出会わなかったら、私はどうなっていただろうかと考えることがあります。それはもしもの世界の私。きっと、アイドルに出会った私が幸福だから許された想像です。多分不自由することはなかったんだと思います。少なくとも生活面、お金とかにはこれといって困らなかったでしょう。でもこの想像をするといつも、今の生活にあって、もしもの私にはないだろうものの存在に行きつくんです。それは、
「—―私、ですか?」
「話の流れ的に違うにきまってるでしょう」
「うっ」
「まぁでもあながち間違いではないのが痛いですね」
「痛いってなんですか痛いって」
「痛いものは痛いんです」
「美優さん、それはあんまり答えになってないのでは…?」
「もう、とにかく!私が言いたいのはですね楓さん、もしアイドルをしていなかったら、こんなにいろんな感情をもった私はきっと一生かかっても生まれなかっただろう、ということです」
「ほうほう」
 さっきから楓さんは、私の話を優しく聞いてくれている。というのも、来週収録するバラエティ番組で、『アイドル特集!』と題して様々なアイドルに、アイドルになったきっかけやアイドルになってよかったことやその他諸々を尋ねるコーナーがあり、その練習というわけである。私なりに考えてきたものを、楓さんの家でこうして語っているわけだ。
「明るい感情だけでなく暗い感情においてもですね、私、感性が豊かになったんじゃないかって、ちょっとだけ思うんです。以前では全力で笑ったり悲しんだり、そんなことありえませんでした」
「…そうですか。じゃあラスト、『アイドルになる前の私に一言』」
「はい…、あなたは信頼できるプロデューサーと、競い合えるライバル、信頼に値する仲間、そして、高垣楓さんに出会えます、だから一歩踏み出すのを躊躇わないでね、といったところでしょうか」
「そこで個人名がでてくるあたり、私への信頼が伺えて照れますね」
「もちろん冗談です」
「すこ~しだけ、期待したんですけどね、ほんとに、すこ~しだけ」
「でも、楓さんを誰よりも信頼しているのは事実ですよ?」
「ふふっ、ありがとうございます」
「いえいえ」
「それと、美優さんの原稿、とてもよくできていると思います。美優さん自身の性格の良さとか優れた感受性、そういうものがありありと表れていると感じました」
「そ、そうですか…。改めて言われると、て、照れますね」
「ふふっ」
「それで、これで本番も大丈夫、ですかね…?」
「少し長すぎると思います」
「あ…」
「たくさん削りましょうね、、そのA4のプリント、持って喋るわけにはいかないでしょうし」
「いえ、本番までに覚えるつもりでした」
「それはちょっとすごいですね…」
「そうですね、どれくらい削ればよいでしょうか」
「コーナーの尺とか共演者の人数にもよりますけど、とりあえず…」

隣で一緒に考えてくれる女性を、安らいだ目で見る。きっと、あなたも、私を変えてくれた、アイドルと同じくらいかけがえのないものです。という言葉は、大切に胸にしまいこんだ。