都会の星は
「人生には頼りにするもんが必要だ」
そういって君はタバコに火をつけた。幸せそうに息を吐くと、暗い夜空に白い煙がぷか、と浮かんで、僕は一瞬だけ、キセルを吸っている鯨のキャラクターを思い出した。
「頼りにするって、タバコを?」
「何を言ってるんだ、こんなもの頼りにしてたら腐ってしまう」
「あ、そうなんだ」
「俺が頼りにするのは、哲学とラノベだけだよ」
笑いながら灰を落とす。頭の上から電車が通過する音が聞こえる。原付がやかましく目の前を通過して、それからまた、世界は僕とこいつだけのものになった。
「なぁ、哲学って面白いか」
僕はタバコは吸わないけれど、こいつの話を聞くのが好きで、ついついこいつと一緒に職場から帰っている。その時の気分で、僕たちは居酒屋に行ったりバッティングセンターに行ったりした。今日は高架下の喫煙スペース。なんだかんだで、ここに来ることが一番多い。
「面白いとも。……何を言っているか、分からないこともあるがな」
「君でも分からないことがあるのか」
「あるとも。何でも分かってしまうなら、哲学はいらない」
「へぇ」
「はっは」
気づけば君はあっという間にタバコを吸い終えて、2本目に火をつけていた。吐き出す息が都会の夜空のかすかな星を隠してしまって、さみしいな、と思ってしまった。都会から星を隠してしまったのは、タバコの煙なのかもしれない。
「哲学はなぁ、分からないことにぶち当たったときに役に立つんだぜ」
君はいつも嬉しそうに話をする。僕が話を聞いているからというよりは、話をすることが嬉しいみたいだ。
「分からないこと」
理系の上、高校でも倫理を取っていなかった僕にはさっぱり分からない話だ。文系のこいつは、僕が知らないことをいっぱい知っているくせに、僕だけが知りうることすら平気で答えてくる。そんなこいつに分からないことなんて、本当にあるのだろうか。
「困ったら、昔のやつらに訊くんだ。俺はどうすればいい。俺はどうすれば、道を違えずに生きていける」
「答えてくれるのか?」
「あぁ。昔の偉いやつらは、一生をかけて俺のちっぽけな悩みに答えを出しているからな。というかこの世の人間の悩みの大半は、すでに答えが出されていると言ってもいい」
「へぇ、すげえな」
「だろ」
「いや、お前が困るときがあるのがすげえ」
「なんだそりゃ」
そいつは笑って、また灰を落とした。「あるに決まってんだろ、バカかお前は」
「悪い」
「いいよ。……一本いるか」
「いらない」
「そうかい」
「……でもさ」
「哲学でもどうしようもない悩みが生まれたら、どうするんだ」
「ほう、いい質問だな」
「まぁそんな悩みがあるのかは分かんないけど」
「はっはっ。あるともあるとも」
君はまた愉快そうに笑って、吸い殻をぐりぐりと灰皿に押し付けた。火種がチラチラと光って星みたいだ。隠れてしまった都会の星は、こんな身近なところに落ちてきていた。視線を戻すと、君はいたずらっぽく僕を見つめていて、その目には満点の星空も叶わない、叡智の輝きがあるような気がした。
「そういうときにはな、ラノベに頼るんだよ」