多分すぐ飽きる

どうせじき飽きるので、適当なことを書いています。

好きな人

好きな人の基準というのはどこにあるのだろうか。深く考えたことはなかったのだけれど、なんとなく「その人に対して悪口をよく言うかどうか」というのがポイントになるんじゃないかと思った。

 

僕は救いようのないクズなので、よく人の悪口を言う。好きなのだ。「あいつクズじゃん」とか言って人と笑い合うのが好きなのだ。自分もクズなのに。でも悪口を言う対象っていうのはそんなに多岐に渡ることはなくて、結構特定の人だったりする。例えばそいつの悪口を言ってれば面白いとか、周りもだいたいそいつの悪口で酒を飲んでいたりだとか。救いようがマジでないですが許してください。真性のクズが書いたブログを読んでくれてありがとう。

 

逆に「こいつの悪口は全然言わないな」って人もいる。そいつの悪口を考えてみても、出てこないのだ。本当にでてこない。いいやつってわけでもないんだけど、それでもやっぱりでてこない。日頃から「悪口で酒が飲みたい」と公言している自分がこんなことになるのだから、本当に悪い奴じゃないんだろう。

 

一般論としてよく言われることに「負の感情には嘘偽りがない」というものがある。一般論という言い方をしたけれど、まぁ大体の物語にはこんなことを言うニヒルな奴がいるよね。これについて僕は全面的な同意をしている。だって嫌いな人に「好き」って言うもん。ブスに「かわいいね」っていうでしょ。そんで影で「あのブスマジで嫌い」っていうわけですよ、日本人は本当に素晴らしい配慮を身につけた種族だなぁと思います。その点負の感情は偽る必要がなくて、「嫌い」なもんは「嫌い」なわけです。嫌いなもんまみれの人はなんか正直な感じがしていいです。僕は言うほど嫌いなものがないので、薄っぺらい感じがします。

 

ってことは、嘘偽りを排した正直な行為である「悪口」の対象にならない人ってのはその時点で僕にとって「好きな人」なんじゃないかと。別に悪口を言うから「嫌いな人」ってわけじゃないですけど、少なくともこのラインをクリアしておきながら「こいつきらいだな」ってはならないわけで。そういう奴は大事にしなきゃいけないなぁって今思った次第です。

 

どーせ僕は人に死ぬほど悪口を言われている人間なので、開き直って永遠に影口を言い続けてやろうと思います。嫌いな人がみんな死んで、そいつの金が僕の口座に入ってくれないもかしら。