光
肺炎のせいで満足に声が発せなくなった三つ歳上の従姉妹がアナウンサーを断念したという知らせが去年母から来た。僕はそのとき、へー、と受け流していたが、その後「アナウンサーがダメでもテレビ局で働きたい」という思いのもと必死に勉強した結果、何とかADの下っ端として採用が決まったと先週連絡があったので、流石に、
「よかったね」
と電話越しにお祝いした。
「ありがとう」
と返す彼女の声はあんまり喜んでいなくて、それが気がかりなまま過ごしていたら、昨日、
「やめたい」
その従姉妹から連絡がきた。
僕と彼女には正直それほど関わりがあったわけではない。就職のお祝いの連絡だって、何年振りかの接触だと記憶している。それほど交友の浅い自分のもとにわざわざ連絡を寄越すなんて、よっぽど追い詰められているのだろう、と僕は考えた。
「やめたらいいんじゃない」
僕は生意気にも上から目線で彼女に言ってみた。
「うん」
彼女は僕に噛み付く気力もなさそうだった。暖簾に腕押し、手応えのない会話にもどかしさを覚えた僕は、
「どしたの」
諦めてちゃんと話し相手になることにした。
「私には才能がない」
「ADって才能の世界なの」
「分かんない」
「何それ」
「でも私にはADをやる才能がないのよ」
「ADをやる才能」
「だからやめようと思うの」
「……」
「どう思う?」
「……どう思うって言われても困る」
「私、やめてもいいのかな」
「それこそそんなこと言われても困る。何で大して関わりもない僕に訊くの」
「だって貴方が周りで一番頭がいいんだもの」
僕は閉口した。彼女の余りの浅慮ぶりに、彼女の余りの主体性の無さに、そしてそれが何となく僕にもあてはまるという事実によって僕は閉口せざるを得なくなった。
彼女は本当に漠然とした動機でせっかく掴んだ職を1週間でやめようとしている。そしてその根拠を、大して接点もない「頭のいい人間」に委ねることで必死に正当化しようとしている。逃げているのだ。自分の意思を、他人の判断と重ね合わせてしまったのだ。それは流行りにノータイムで乗っかる若者と何ら変わらないし、占いやら風水の本を読んで根拠もないことを嬉々として行う中年と何ら変わらないし、フェイクニュースに踊らされる老人と何ら変わらないし、何なら猿とも変わらない。僕は彼女に僅かながら侮蔑の心を抱いた。そしてその侮蔑の心が自分にも向けられていることを承知し、傷ついた。抉られるような痛みとともに、彼女の言葉を胸に刻もうと思った。
「いくらなんでも早すぎるからさ、とりあえず一ヶ月、んで三ヶ月、そしたら半年、一年、みたいにちょっとずつ頑張ってやってみたらいいんじゃない。一年経ってから決めるのでも全然遅くないからさ」
「そうかな」
「折角なりたかったんでしょ? 頑張りなよ」
「……うん、ありがとう」
電話が切れる。胃がむかむかしてきて、たまらずトイレに駆け込んで吐いた。さっき食べたものが胃液と共に流出する。
嘔吐しながら僕は、もう二度と彼女と連絡を取らないことを目の前の白い陶器に誓った。