多分すぐ飽きる

どうせじき飽きるので、適当なことを書いています。

学ぶ理由

「なんでマスク二枚なんだよ!」と怒る人がおりました。すると有識者や関係者が現れて、どうしてそうなったかを分かりやすく説明してくれました。ああ、そういうわけで二枚なのか。その人は納得しました。

 

……のようなことが今、世界で起きている気がします。我々は何も知りません。そして何も知らないため、一方的な視点から物事を見て評価することしかできません。

しかし様々なことには理由があります。そうなった経緯と根拠があります。私たちが何かを評価するとき、時としてこのことを忘れてしまう傾向があるように思います。

どうしてそうなったのか。これを考えることが、「相手の立場に立つこと」だと思います。Twitterで事件の表層に触れただけで顔を真っ赤にして批判したり、フェイクニュースに踊らされたりする人にはこれが足りないのではないでしょうか。

怒りや動揺は視野を狭め、人の思考力を怠惰にします。すると一方的な視点だけで早合点をして、とてつもない速さで善悪の線引きをしてしまうことになります。何度も言いますが物事にはそうなった事情があります。そこまで思考力を働かせないと、「評価」をしたことにはなりません。ここでは評価を「良いことや悪いことを判断する」という意味で用いています。すぐに悪いと決めつけることも、良いと決めつけることも間違いです。違う視点に立って考えてからでも遅くはありません。それを考えるだけの時間は充分にあると思います。焦って早合点して、後に諭されて納得することに比べればよっぽど早い。違う視点に立つためには倍以上の時間と手間がかかりますが、それでもなお早いと思います。後の人生を考えても、早いし大事なことだと思います。

色々言いましたが、要は「思いやりを持ってくれ」ということです。様々な視点を持つとは、「もし自分が相手側だったらどうするか」「相手はどうしてこのようなことをしたのか」という観点から物事を見ることです。そうすることで、冷静になることができます。冷静になることで、見えるものもあるはずだと私は思います。

 

そしてこれは「学び」の基礎をなす考え方だと思います。学びとは、様々なことを考慮した上で正解を導き出す営みです。一元的な物の見方では間違えてしまいます。不断の努力でファクトチェックを繰り返せる者にしか、判断をする権利は与えられません。

学ぶ理由とは、「他者を思いやるため」ということだと私は考えます。正しく学んでいる者には、相手を思いやる姿勢があると思います。だから学びとは生涯をかけて続けなければなりません。

学び続けましょう。そして、周りの人を思いやり続けましょう。こんな時だからこそ、事実を様々な角度から捉えて考えましょう。