年の瀬に寄せて
◯最寄駅から自宅までの帰り道に喫煙所がある。喫煙所といっても路上に灰皿が置いてあるだけで、近年駅に備え付けられるようになった、四方をケージのように覆ったブースのようなものではない。本当にただ路上にぽつんと置いてあるだけなのだ。だから通行人の目の前で煙を吐いていられる、今どき非常に稀有な喫煙所だった。
先日職場の人との飲み会があって、帰りにそこでタバコを吸っていこうと思ったらその喫煙所がなくなっていた。この喫煙所を見てきた世間の方達からすれば「ようやく」といったところだろう。路上喫煙が禁止されて久しいと言うのに、いつまでもそれを助長するものが置かれていたのだから。自分が住んでいる地域はコンビニからも灰皿が完全に撤去されていたものだから、この撤去はむしろ遅いくらいだっただろう。
ただ個人的にはこの撤去はかなり寂しいものであった。無くなった状態を初めて見たとき、心にぽっかりと穴が空いたような感覚があった。あぁ、本当に無くなったんだな、と思った。そりゃそうだ、という思いと、無くならないでくれよ、という思いがちょうど半分半分だった。何せほとんどのタバコをここで吸ってきたようなものだったのだ。大切な場所が一つ無くなった、とその時はっきりと感じた。
ここ最近は、こういった場所がどんどん無くなっていっているような気がしている。同じ場所に10年もいればそうなるのも仕方ないのかも知れないが、無くなるときの喪失感にはいつまでも慣れない。好きだった定食屋、たまに使っていた惣菜屋、ネギをオマケしてくれた八百屋、そして喫煙所。生活に結びついていればいるほど、その寂しさは大きい。長く住む、というのは、多くの別れと共に生きる覚悟がある者にできることなのだ。
このようなことを書くのは、来年住む場所を変えようと思っているからである。来年自分は異動することが確定している。どこになるかはまだ全くわからないが、それがどこになろうと住処は変えたい。できれば今いるところから離れた土地で、新たなものに出会えるといいなと思う。願わくばそれが自分の好きなものであってほしいし、それと別れることがないといいなとも思う。これは結構独りよがりな願いだという自覚はあるけれども、別れへの耐性があまり無いがゆえの弱さだとお考えいただきたい。
◯タバコをだらだらと吸っている。去年は半年近く禁煙したりしていたこともあったが、今年は普通にだらだら吸い続けてきた。今禁煙してくれと言われても、まぁできるけど、うーん、とか言って濁してしまいそうだ。
今年はタバコを吸う上で一つルールを設定した。「楽しいとき、いいことがあったときだけ吸ってよし」というものだ。今までは精神的に厳しいときや、何か行き詰まったときに気分転換として吸うこともあったが、そういったネガティブな動機でタバコを吸うのは何だかタバコに悪い気がしたのだ。別にそういう目的でタバコを吸う人に対しては何も思わない。あくまで個人的な話だから、これをもって他者の喫煙に物申したいとかはない。
きっかけは去年の12月、好きだったタバコが廃盤になったことだった。これを機に禁煙しても良かったのだが、そのときの自分はネットでそのタバコを2カートン注文していた。ずっと吸っていたものに対する恩返しというか、感謝の2カートンというか、何かそういう理由から買ったのだと思う。
ただこの2カートン、普通に吸い続けたらそれなりの速度で吸い終わってしまいそうだ。せっかくの2カートン、有意義に吸いたい。そこで先述したルールができたのである。
職場の人との飲み会を終え、喫煙所の撤去を知り、そのままふらふら歩きながらタバコを吸っていた(歩きタバコである。めちゃくちゃ良くない)。それでちょうど一箱吸い終わって、次のタバコを引っ張り出したとき、ふと気づいた。1カートンも吸い切っていなかったのだ。これをどう思う。いいことがそんなになかったと取ることも、たくさんあったと取ることもできる。
自分はこのタバコの残数を見て、「いい一年だったな」としみじみ思った。酒に酔った頭で下した判断だったが、素面の今でもこの評価は変わらない。今年はいい一年だったと思う。楽しい気持ちでそれなりにタバコを吸えて、個人的には満足であった。
今年はたくさんライブに行った。ライブ先では同行者を差し置いてタバコを吸いに行った。申し訳ない気持ちもあったが、それを上回るほど楽しい気持ちでタバコを吸うことができた。
今年はお酒もたくさん飲めた。色んな人と酒の席で楽しい話ができて、その場で吸うタバコも、帰りに吸うタバコも等しく美味しかった。
仕事もそれなりに上手くいった(と思っている)。仕事でいいことがあった日も、帰りがけにタバコを吸った。
今年はタバコに楽しい記憶が紐づいて、とてもよかった。でもこれは自分がその気になればいつでも禁煙できるほどタバコを吸っていないからできたことだ、というのも理解している。だからこれを他者に勧める気は一切ない。自分の周りにいる喫煙者は常に吸っていないと落ち着かないくらいのスモーカーばかりなので、自分のような人は珍しいのだとも思うし。でもいい吸い方だった。来年も継続して、できれば残りのタバコを全部吸い切るくらいでいきたい。そうすると好きなタバコはもう二度と吸えなくなってしまうが、それでもいい。何ならそれを機にタバコをやめてもいいな、と思う。タバコとの別れも、寂しいけどしておくべきなのだろうし。
◯ライブに行けて楽しかった。特にこの間のMOIWは本当に楽しくて、その後のTwitterの盛り上がりとかを見ていると何となくコロナの以前の雰囲気に戻った感があって、ついしみじみとしてしまった。あの頃は自分も時間がたくさんあって、二次創作を延々としていた。根っこにあったのは若者特有の承認欲求の爆発だったのだろうが、そこには確かに「熱」があって、振り返れば良い時間だった。あの時の感覚をどことなくTwitterから感じ取って、「書きたいな」という思いがふつふつとわいてきた。今こうして書いているのもその「熱」に促されているところが大きい。あのライブは、多くの人に、ポストコロナの方向性を示したような気がする。コロナ以前の熱狂が、現代仕様に整えられて眼前に立ち現れてきたような、そんな気さえしてくるのだ。
今の自分は承認欲求とはまた何か違う動機からこうしてキーボードを叩いている。今は少しブラインドタッチもできるようになってきて、それなりに効率よく入力ができる。そうすると書くのが楽しくなってきて、時間がたくさんあればもっと書きたいなと思えることも増えてきた。いわゆる「書きたいから書く」という境地に近づけているのかも知れない。だったらいいな。来年は厳しいだろうが、いつかはそうなっていくといいなと思う。
なんやかんやと雑感を述べ、2025年の締めくくりとした。今年はいい一年だった。来年はもっといい一年にしたい。
皆さんも体に気をつけて、来年もよい生活を送ってください。どこかで皆さんの生活と自分の生活が交わることがあれば、とても嬉しいと思います。そのときはどうぞよろしくお願いします。
営業
仕事の内容上、よく来客がある。営業目的で来ることがほとんどだが、基本的にうちの職場はこういう営業から新しい仕事につながることがないので、よくめげずに来るよなぁ、と思う。多分向こうは特に何も思っていないのだろう。たくさん数を打ち続けて当たったらラッキー、のうちの一つ、というだけの話だ。
なのでこういう営業目的の来客に対して、上司が応じるのはまれである。対応するのは大抵若手で、それは自分だった。来客を知らせる内線が入ったら、応接用の部屋にそれを誘導し、話を聞くなり資料を預かるなりして、お帰りいただく。その場で話が進展することはないので、来客対応はこの程度で終わる。新人でも楽勝、というわけだ。
ある日自分の部署に来客があって、その日も対応に当たったのは自分だった。事務から来客の旨を伝える内線が入って、訪問者を迎えに行く。玄関口には若い男の人がいた。紺のスーツに身を包んで、髪も整髪料を用いて整えてある。いかにも営業マンといった風貌だ。その辺の服屋で買った安いシャツにスラックスといった自分とは偉い違いで、なんとも恥ずかしい気持ちになった。挨拶を交わし、名刺の交換をする。ときおりうちに営業をかけにくる会社名だった。この男の人に関しては見たことがなかったので、向こうも手を変え品を変えでやってきているのだろう。多分今回の営業に関してもさらりと流して終了ですよ、ご苦労様です、と心の中で呟き、部屋に案内する。
応接用の部屋といっても普段仕事で使っている部屋でもあるため、あまり整えられているとはお世辞にも言えない。奥にデスクが置かれているのだが、少し前までそこで仕事をしていたのだろう、半開きのノートPCとマグカップの周りに資料が散らばっている。横に目をやると、方々から送られてくる便りやら情報誌やら広報誌やら、別にすぐ捨ててもいいのに面倒くさがって放っておいている物などがあちこちに積み上げられているのも見える。そんなところに案内されてしまったらどれだけやる気のある営業も望みの薄さを悟って目の輝きがくすんでいくものであるが、そのときの彼は依然としてはつらつとした雰囲気のまま「失礼します!」と部屋に入ってきた。若さ故のやる気なのかもしれない。
自分たちは改めて挨拶をして、ソファに腰掛けた。
「わざわざお時間割いていただき、ありがとうございます」
若い男は頭を下げた。若いのに、なんというか、ちゃんとしている雰囲気を感じる。自分はこういう「ちゃんとする」ということに関してろくに教育を受けずに仕事をしているから、営業の人と話をしていると自分のちゃんとしていなさを痛感する。素直に尊敬もするが、同じくらい劣等感もある。だからできるだけ営業の人とは話をしたいと思っている。何でもいいからこういう存在から、自分の糧になるような何かを得ようとしているのかもしれない。
自分は適当に雑談を振って、彼とコミュニケーションをはかった。あまり無い話のネタを無理矢理ひっつけて、でたらめに会話をする。天気のこと、出身のこと、大学のこと、仕事のこと……。彼は素直に会話に乗ってくれた。若い者同士、会話がしやすいと感じてくれていたのだろうか。
その中で趣味のことになったとき、彼の声がひときわ大きくなった。「私、この間世界一周してきたんです」と。
世界一周、と呟くと、「はい!」と彼の目が大きく開いた。話したい、と目が訴えてくる。自分としても彼が自分からたくさん話してくれるなら好都合だ。世界一周にも普通に興味がある。そういうことをすれば、彼のような人間になれるのだろうか。仕事着をきちんと着こなし、清潔感と快活な雰囲気をまとった人間に。そのとき自分はちょうど自分のみすぼらしさについて考えることも多かったので、目の前の彼は次第に眩しくなっていった。
「半年ほどかけて地球をぐるっと回ってきたんです。はじめは韓国から東南アジアを回って、そこからインドに行って……」
彼は嬉々として旅行でのことを語ってくれた。自分は(いつまでも話してくれていいですよ)という意味合いの相づちを打ち続けていたので、彼はそれはそれはたくさん教えてくれた。インドは最初は生活や公衆衛生の差に愕然としたが次第に魅力に気付くと離れられなくなった、トルコで出会って仲良くなったギリシャ人が、ギリシャで長い間自分を家に泊めてくれた、アメリカを自転車で横断しようとしたが自転車をスられて心が折れた……。彼の話は一対一の会話にもかかわらず抑揚がしっかりとついていて、引き込まれる臨場感があった。もっと大勢の前で話すほうが彼にとって転職なんじゃないか? と思わずにはいられなかった。
結局一周の経路や期間などまで詳細に教えてもらい、費用についての質問などにも答えてもらった(宿泊などの支援をしてくれる宿などが多いため、上手に利用したため100万円強で済んだ、という話を聞いて驚いた)。一通り聞きたいことを聞き終えて、すごい経験でしたね、自分も行ってみたいです、なんていい加減な相づちを打っていると、彼は笑顔で「写真もあるんです」とスマホを取り出し、写真を探し始めた。聞こうとした自分も悪いのだがさすがに長い。本題にも入らずアイスブレイクでここまでやっているといい加減怒られそうである。だがもう仕方なし。話をここまできたら写真も見よう、と身を乗り出した。
彼が持つ最新機種のスマホには、性能の良いカメラで撮られたであろう写真が表示されていた。家屋と、その前に数人の男女が写っている。
「これはインドで、現地で仲良くなった同年代の青年たちとの友好の証として撮った写真ですね」
彼は懐かしむように言う。自分はそれを聞きつつ、へぇ~いいですね~、と言いながら、彼の写真に何か違和感を覚えた。何か妙なところがある。
彼は次々にカメラロールをスクロールして、写真を見せてくる。「これはさっき言った、ギリシャで泊めてくれた友人との写真ですね」
写真には家の前で肩を組んでいる二人が写っている。微笑ましいものだが、やはりどこかに違和感がある、ような気がする。彼らに異常は見受けられないが、どこかが明らかに変、という違和感。
「それでこれがアメリカで撮った写真なんですけど~……」
そして彼がアメリカでの写真を見せた瞬間、その違和感の正体に気付いた。その写真はアメリカで自転車にまたがった彼をおさめたものだったが、彼でも、その後スられた不憫な自転車でもなく、その背景に違和感の答えがあった。背景の建物が、全て明らかに日本のものだったのである。
自転車にまたがり、少し日焼けした笑顔を見せる彼の後ろには明らかに日本の住宅街が広がっていた。思い起こせばそうだ。インドでも、ギリシャでも、屋根瓦を葺いた木製の家屋の前で写真を撮っていたのである。一緒に写っていた友人は外国人だったので気付きにくかった。
他にも写真を見せてもらったが、どう見ても背景が日本のものだった。観光名所として名高い場所の写真などはさすがにそのものが写っているのだが、それ以外が日本の建物だった。ビックベンの周囲に日本のオフィスビルが並び立っている写真を見たときは頭がおかしくなりそうだった。名所や人物だけは各地のそれなのに、それ以外が全て日本という矛盾。彼は果たして本当に世界一周をしたのか?
彼は話ができるのがうれしくて仕方ないようで、様々な写真を表示しながらその地での思い出を語り続ける。その目が嘘をついているようにはどうしても思えなかった。この写真は一体何だ? なぜ日本の家屋が写っている? これは日本で撮った写真ではないか? 自分は喉のすぐそこまでこみあげて来ているたくさんの質問をぐっと飲み込み、相づちを打ち続けた。液晶画面には高画質の風景写真が並ぶ。異国の友。異国の食。異国の名所に異国の自然。しかしその写真のどれもが、それが日本で撮られた可能性を否定できない要素を内包していた。日本と海外をボンドで強引に接着したかのような奇妙な写真。スクロールとともにそれらが切り替わっていくたび、視界がゆがんで脳がくらりと揺れるような心地がした。
結局中途半端に話を切り上げることもできないまま、彼が話しきるまで相づちを打ち続けることになった。最後まで、彼の写真は気持ち悪かった。
彼の人間性は初対面から一貫して真面目だった。きちんと社員教育もなされていたであろう。気のいい若者だった。それだけにより異質さは際立ち、彼の笑顔と奇怪な写真とのコントラストで気が狂ってしまいそうになる。
営業の話は一瞬で終わった。彼の営業自体は割に魅力的ではあったが、今後も新たな仕事につながることはないだろうと思う。
最後、玄関口で見送った彼は変わらぬ快活さで挨拶をして去って行った。「また来る機会がありましたら、ぜひお話しましょう!」と笑う彼を見るにどうやら自分のコミュニケーションは上手くいったようだが、果たして次があるのかは分からないところである。それにもし今度話す機会が持てたとして、世界一周についての自分のいくつかの疑問はきっと晴らせないのだろう。まだ少し残っている吐き気を胃の中に押し込めながら、そんなことを考えた。
散歩
仕事があろうがなかろうが、朝は散歩をするようにしている。雨が降っていても合羽を着ていればへっちゃらなので、オールシーズン楽しめる娯楽として散歩をしているという感じである。始めたのは三ヶ月ほど前なのだが、今のところ休みなく毎日継続して歩けている。
散歩をするときにはなるべくスマホを触らないようにするのが散歩を楽しむコツである。何事もライブ感というのが肝心で、そのとき自分の目の前に立ち現れる光景を楽しむようにすれば、同じコースであっても飽きることがない。最初はついついスマホを触ってしまいがちになるのだが、次第に慣れてくる。今日は鳥が多く飛んでいるな、コンビニの店員がいつもと違う人だな、そこそこの雨なのに傘を差さない人がこの町は多いんだな、今すれ違った車の運転手が服を着ていなかったぞ、などなど、周りに目を向けるだけで世界はどんどん具体性を帯びていくのが分かって楽しい。はじめの一週間くらいはイヤホンから音楽を流していたが、それももうすっかり辞めてしまった。いつかスマホを家に置いたまま外に出る日も来るかもしれない、無いと不便なので今は持ち歩いているけれど。
そんなことで毎日散歩を楽しんでいるある日のことだった。その日は冬も終わりかけの時期だった。朝からぽかぽかとした陽気で、時折爽やかな風が吹いていたりして非常に散歩しやすい日だった。
いつものように身支度を済ませて外に出る。今日は良い天気だし、いつもより遠くまで行ってみようか、などと考えながら歩き始めたのを覚えている。まだ桜も梅も花も蝶も見かけないくらいの季節だったが、別に桜が咲いていてもいいんじゃないかとすら思える暖かさだった。自分は都会に暮らしているので散歩のルートに自然の風景が映り込むことは少ない。コンクリートと建物と自動車が視界の大半を占めるような散歩道ではあるのだが、それでも春の息吹をほんのり感じられるような素晴らしい日であった。
当初の意気込みに違わず、足はずんずんと進んでいく。途中何人かランニング中の人とすれ違ったが、皆一様に薄着で走っていた。苦しそうな表情は誰からも感じなかった。春が近づくとランニングも快適になるのだろうか、などと考えているうちに、今まで歩いたことのないところまで来ていることに気付いた。川が近くを流れている。せっかくなので、そのまま川沿いの道路を進んでいく。車道を隔てて低い位置を川が流れていて、自動車の排気音の奥から川のせせらぎが微かに聞こえてくる。
川沿いにはより春めいた様相が広がっていた。木々にも草たちにも、これから春を迎えようとする心意気が感じられるようだった。この暖かさがあと一週間でも続いてみろ、俺たちは目一杯春を謳歌するモードに変形してやるからな、と言わんばかりにエネルギーを抱え込んでいる。春先の植物たちのエネルギーとはかくも膨大か、と気付かされる風景だ。これも散歩をしていなければ気付かなかったことである。知識では知っていても、実際に見てみないときちんと腑に落ちないことがこの世にはたくさんあるのだな、と最近よく思う。これが物事を真に理解するということか。百聞は一見に如かず、という言葉も実際に体験しないと腑に落ちないことわざだから意地が悪い。理解、ということの難しさを感じながら、足は川の上流に向かって進んでいく。
ある程度進んだころ、公園があるのを見つけた。公園と言ってもあまり公園らしくない、小さな砂の広場にベンチが二つあるだけのものである。とはいえ公園以外にこの空間を表す表現を今の自分は持たない。時計を確認する。歩き続けて結構な時間も経っているし、休憩にはちょうどいい場所だ、と足を進める。
公園には誰もいなかった。ベンチにどかっと腰を下ろし、辺りを見回す。見つけたときは何も思わなかったが、川沿いに植えられた木々やすぐ近くに建てられた公衆トイレに隠れて、この公園はかなり見つけにくい空間だと分かった。少し遠くを見ると下に続く階段があって、その先に住宅地が広がっている。川と住宅地に挟まれて、やや高い位置にこの公園がある形になる。振り返るとやや見下す形で住宅がずらっと並んでいる。どの家も様々な形の朝を過ごしているのだろうなと思いを馳せようとしたそのとき、ある光景を目にした。
それは住宅地の端にあるやや広めの空間だった。自分が今いる公園よりも広めで、ベンチの他にブランコが設置されていてかなり公園らしい公園だった。そこに大勢の人がいて何かしている。ざっと数えて二十人程度。しばらく眺めて、体操をしているのだと分かった。彼らは一様に体を動かしている。最初はラジオ体操をしているのかと思ったのだが、しばらく見ているとどうやら違うことが分かった。全く見たことのない、妙な体操をしているのである。
腕を伸ばしたり足を曲げたりしているので体操であることは理解できるのだが、自分が知っているラジオ体操とはまるで異なる伸ばし方、曲げ方だし、他に知っているどの体操にも当てはまらない。太極拳かとも考えたが、何となく知っている太極拳の動きともまるで違うので、おそらくそうでもない。
ただこの程度なら地域性という言葉で片付くかもしれない。自分も高校生の時は高校独自の体操をさせられていたものだ。皆でやると一体感が出て良い、などという体育教師の言葉を真に受けて集団行動のようにオリジナルの体操に励んでいた身としては、いくら見たことのない体操といってもそれだけでむげにはできない。だがそれを加味しても、これを妙な体操と呼ばざるをえない要因がいくつかあった。
まず、音が全く聞こえないのである。自分が体操を見ている公園から妙な体操が繰り広げられている公園まで距離はそれほど無い。朝の静けさも相まって、ここからスマホで音楽を鳴らしてもギリギリ聞こえるくらいの距離である。体操をする人に音を届けるためにはスマホよりも大きい音が必要になるはずだ。つまり音を出していれば必然的に聞こえるはずで、今ここで音が聞こえないのはおかしいということになる。というかよく見たらスピーカーに当たるものがない。彼らは無音で体操をしているのである。
そして彼らの体の使い方が時折人間の稼働範囲を超えているときがある。肘があり得ない向きに曲がったり、首が完全に真後ろを向いたり。一瞬体が浮遊しているように見えることもあった。さすがに目の錯覚かとも思ったが、全員が同時に浮遊しているのを見ると、嫌でも錯覚ではないことが分かってしまった。
そして極めつけが、全員とんでもなく笑顔な点である。これが個人的には一番キツかった。何せ無音で、異様な動きをしながら、そして笑顔なのである。体の真逆を向いた顔が、一様に貼り付けたような破顔大笑だったとき、気が狂いそうになった。かなり長い時間この奇妙な体操を見ていたが、自分の意志で見たというよりは、正気をなくして目が離せなかったという表現の方が正しいと思う。
後から考えればさっさとその場を後にしてしまった方が良かったのだが、ここで帰るのはなんだか逃げたような気がする、とこのとき自分は思ってしまった。自分はベンチから体を起こすと、階段の方に歩いて行った。軽やかに階段を駆け下りると正面に奇妙な体操がはっきりと見えて、より気が狂いそうになる。近づいても音は聞こえない。そこそこの集団が、無音で、奇っ怪な体操を笑顔でしている。より近づいて見ると、体操ではなく舞のようなものにも感じられた。周囲には一切人の姿が見えない。早朝だから、というにはあまりに不自然なほど人がいなかった。
不意に、体操をしている一人と目が合った。細身で背の低いおばあさんだった。彼女はこちらに気がつくと、満面の笑みを浮かべたまま、
「あなたも△△体操に?」
遅れて会場にやってきた客人をもてなすときの声色で話しかけてきた。かといって体操はおろそかにせず、変な向きに足首をひねりながら両腕を固結びにしている。体操の名前は全く聞き取れなかった。今でも思い出そうとすると頭の中にもやがかかったような心地がして吐きそうになる。このときも同様の吐き気を感じた覚えがある。
「い、いえ、散歩がてら立ち寄っただけで……」
「あら、そうなんですね。私たちはあなたをいつでも歓迎しますよ」
とっさに逃げようとした自分に対して彼女はそう言うと、体操の輪に戻っていった。全ての人たちが一糸乱れぬ動きで、完璧におかしな体操をする空間が再度構築される。近くで見るとその狂気はより強く、自分は吐き気をこらえるので精一杯だった。
吐き気を何とか押し込めて、その場を離れようと一歩踏み出す。だがその場から離れるために踏み出したはずの足は、なぜかその場に一歩進んでいた。「え?」不思議の自体に思わず声が漏れる。すると先ほどのおばあさんが再びこちらに顔を(顔だけを)向けて、
「あなたも△△体操に?」
満面の笑みとともに語りかけてきた。
「私たちはあなたをいつでも歓迎しますよ」
間を置かず語りかける声。自分は混乱していた。なぜ帰ろうとしたのに足は言うことを聞かなかったのか。自分は今、ここの狂気から逃れることはできなくなってしまったのか?
頭の混乱とは関係なく、体が勝手に体操の集団に向かっていく。頭はパニックでぐちゃぐちゃになっている。「にげなきゃ! にげなきゃ!」と脳がガンガン指令を出しているのに、足が言うことをきかない。歩いているうちに頭が割れるように痛み、パニックで意識が混濁していく。自分は今何をしている? なぜ前に足が進んでしまう? 「にげなきゃ! にげなきゃ!」自分は今嘔吐しているのか? それとも嘔吐した記憶を呼び起こしているだけなのか? 自分は今歓迎されて体操の輪に入ろうとしているのか? 歓迎されていることを喜んでいるのか? 体操をしてもよいと思い始めているのか? 「にげなきゃ! にげなきゃ!」なぜ頭は前を向いているのか? なぜ関節には可動域があるのか? 人体には無限の可能性があるのに、なぜ我々はそれに気付かないのか? 「にげなきゃ! にげなきゃ!」今こそ、解放の体操をすべきときなのではないか? 「にげなきゃ! にげなきゃ!」ああ、頭が痛い。頭が痛いのに、なぜか思考はクリアになっていく。宇宙に接続された脳髄が、人体に秘められた無限の可能性を解放していく。楽しい。楽しい。楽しい。楽しい! 楽しい!! 楽しい!!! 楽しい!!!!
……気がつくと、自分は公園のベンチで横になっていた。体操が行われていた方ではなく、最初に休憩場所に選んだ方の公園である。頭の痛みや吐き気は一切無く、ちょうど休憩するべく腰を下ろしたときと体の状態は同じといってよい。寝起き特有のけだるさもなく、時計を確認したが時刻はここに来る前に確認した時から一切変わっていなかった。身体に不調は一切なかったが、精神的なけだるさは残っている。それに、先ほどまでの記憶も。
自分はふらふらと家に帰った。これから仕事に行かないといけないが、まるで行く気になれなかった。作業的に朝食をかき込み、昼食の用意を鞄に詰め込み、スーツに着替える。
鞄を手に立ち上がった瞬間、脳内で不意に、「なぜ関節には可動域があるのか?」という思考が走った。腕を伸ばし、そのまま肘を反対側に曲げていく。腕は痛みを伴わずに少しずつ反っていき、普通の人間が反らせるギリギリまで到達する。そこまでいってからようやくハッとして、自分はそこで腕を反らすのをやめた。ここからは後戻りできないような気がしたからである。
春の訪れを感じさせる陽気は、部屋の中にも無遠慮に差し込んでくる。やけに暑い部屋の中、ぼんやりと考える。この閃きは、死ぬか、気が狂うかするまで自分の中について回るのだろう、と。
この一件以来、自分はこのルートで散歩をすることは無くなった。
不満
同じ部屋に住み続けてもう九年になる。大学進学をきっかけに住み始めた部屋だが、卒業後も就職先が近所だっために引っ越しをすることがなかったのである。こうなってしまうともう転勤で遠くに配属でもされない限りは引っ越すタイミングは訪れないだろう。
今の下宿先は正直言うと微妙である。めちゃくちゃ嫌なところもなければ、めちゃくちゃいいところがあるわけでもない。住めば都という言葉もあるとおり、慣れてしまうともうずっとここで暮らすことになっても別にかまわんか、と思えるのも事実である。ただ近年ところどころ気に食わない出来事が頻発してきたので、さっさと引っ越したいなぁと思うようになった、という感じである。
気に食わないことを事細かに言い過ぎるとアパート多しとはいえ特定されてしまう可能性もあるので、詳しくは書かない。ただ「これくらいなら日本各地で起きているのではないか?」ということもあって、それなら別に書いても大丈夫だろう。今回はそのことについて、二つほどバレない程度に書いていきたい。書くことによって不満を少し晴らしつつ、これから先、するかもしれない引っ越しに向けてモチベーションを高めていきたい。
まず一つ目。これは数年前のことになるが、アパートに改修工事が入り、入口がオートロックになったということである。これは結構大きめな工事で、外の塗装を塗り直したり、アパートの廊下を張り替えたりと、ボロく見えていたアパートをきれいにして入居者を増やしたい、という思考が読めるものだった。なかなかの時間をかけ、実際アパートはかなりきれいになった。それは別にいいのだが、腹が立つのは入口をオートロックにしたというところである。
うちのアパートはこれまで、入口がだだ開きであった。アパートの入口から自分の部屋の前まで何の障害もなくたどり着けるという、世間の安アパートなら大体そうだろう、というスタイルである。これを入口にオートロック付きのドアを設置して、部屋に行くまでに一度鍵を使わないといけないようにしようというわけだ。一見、セキュリティ面が補強されてなかなか良いのでは? と思うかもしれない。自分もそうだった。宗教の勧誘があまりに多い我がアパートにとっては結構いい対策だ、と感動したものである。
しかし蓋を開けてみればこのドアはかなり中途半端な形で完成し、利便性より不便な面の方が格段に多い、という結果になっている。たとえば大きな荷物を持って部屋に戻ろうとする際、一度鍵で入口の鍵を開けるという手間が生まれた。このオートロックは物理的な鍵を使わないと開かない。これがめちゃくちゃ不便で、本当に最悪なのである。何せこのオートロックを開ける場所というのは外で、地面に大量の荷物を置かなければならないというのはかなりストレスになる。おかげでこのオートロックドアをドアストッパーで常に開けておこうとする住人が登場し、絶えずドアを開けておこうとする住人とドアを閉めたい大家との戦いが起こっている。
他にもこのオートロック式ドアの導入に伴い「宅配業者はこのドアより先に行ってはならない」というルールも作られたので、配達員が部屋の前まで来ない、という問題も生じている。またウーバーイーツなどを注文しようと思うとしたのオートロックドアを開けておかないといけないのも面倒である。つまるところ百害あって一利あるのかどうか、というのがこのオートロックドアで、自分は本当に腹が立っている。
そして二つ目。アパートの敷地にある駐車場に、一夜にしてアパートが建ったということである。これが本当に腹が立っていて、自分が早く引っ越しをしたいと思うようになった直接的な理由である。これはつい先日のことになるが、ある朝目覚めると窓の外が真っ暗で、慌ててベランダに出たらすぐ目の前に別のアパートのベランダがあった、ということがあった。そのアパートはちょうどベランダが自分の部屋と向かい合わせになっていた。目と鼻の先ぐらいの距離にあるのに、どの部屋も中の様子がはっきりとは見えなかった。
自分のアパートには南と北にそれぞれ出入り口があるのだが、その先にはそれぞれ小さな敷地があって、それらがそれぞれ駐車場だった。自分は就職に伴って自動車を購入したのだが、そのとき駐車場の空きがないかどうか管理会社に連絡したところ「無い」と言われてしまった。しぶしぶアパートから離れたところに別で駐車場を契約したのだが、駐車場に空きが出たらすぐに教えてくれと常々お願いしていたのである。
それがある日、南側の駐車場がまるまるアパートに様変わりしてしまった。これは紛れもなく住人である自分に対する不義理に他ならない。何せその敷地には自分が自動車を置いておけたはずなのだから。住人に対して約束を果たすことなく駐車場をなくし、そこに別にアパートを建てた管理会社の身勝手さにはほとほと怒りが湧く。
ちなみに新しくできたアパートは四階建てで、自分が今住んでいるアパートよりも大きかった。狭い敷地によく建てたものだなと思う、しかも一夜のうちに。気になってそのアパートに入ろうと入口まで行ってみたのだが、郵便ポストにすでに名札がいくつか貼られていたので、きっと誰かしら住人がいるのだろう、というのが分かった。そしてその奥には鍵穴のついたドアがあった。オートロック式のドアだった。ここに住んでいる人も配達員が部屋の前まで来てくれないのだな、と同情の念が湧いた。きっと電話がかかってきて、「オートロックのドアの前まで来ているんですけどこれ以上は進めないので取りに来てくれませんか~?」とか言われるんだろうな、かわいそうに。管理会社の無能ぶりには呆れるばかりであるが、住人には罪はない。管理会社はせいぜい住人に愛想を尽かされて出て行かれないようにするといいさ、と思いつつアパートを後にした記憶がある。
これ以上詳しく書くと特定されてしまって、頼んでもいないピザが届いてしまうのでこの辺りにしておく。頼んだことが無いので分からないのだが、ピザ屋も電話で「ドアの前まで来ているんですけどこれ以上は進めないみたいなんで取りに来てくれませんか~?」とか言うのだろうか。
ともかく、管理会社はつくづく住人に対して不誠実であることがこの話から分かってくれたかと思う。もしかすると大家の方に問題があるのかもしれないが、自分は管理会社が無能であるのだと思う。住人が本当に必要としているものが何か考えようともせず、住人との約束も守らず勝手に物事を進めてしまう腐った体質が少しでも広まって、今後同じような被害に遭う人が減ってくれたら、この文章を書いた甲斐があるというものである。
そして自分もこれを書きながらどんどんと引っ越したい気持ちが湧き上がってきた。こんなひどい管理会社が管理するアパートからはとっととおさらばして、次はあらかじめ駐車場を同時に契約できる部屋に引っ越したいものである。
とりあえず今は家の前のアパートの住人と少しは仲良くなれたらいいなと思う。ベランダ越しの交流はしたことが無いし、未だに中から住人が出てくる様子もないし、そもそも中がぼやけて住人がいるのかもまだ分かっていないのだが。
花木
知らない花が咲いていた。今日は午前中で仕事を切り上げて、午後は休みを取って帰ってきたのだが、車を停めた駐車場から少し離れた辺りの木にそれを見つけた。
自分が契約している駐車場は電車の高架から近いところにある。自分の家は高架を挟んだ反対側にあるのだが、高架の下にはまた別の駐車場があって、そこに問題の木が植わっている。何度も通っているはずなのに、正直今日という今日までその木があることに気付かなかった。灯台もと暗しならぬ、高架下暗し、ということである。
その木はほっそりとした木だった。世にある梅とか桜とかに比べると全体のフォルムが細い。でもその割に立派な桜くらいの高さはあって、だからよりほっそりした印象が強いのかもしれない。そしてその木に結構大きい花がたくさん咲いていた。花はくすんだねずみ色をしていて、百合の花を平べったくして花弁を長く伸ばしたような形に見えた。木の幹も桜や梅に比べるとやや細く、しかし真っ直ぐに天に向かって伸びる様はやけに生命力を感じさせる力強さがあった。枝も斜め上に向かって伸びていて、枝の根元から花がびっしりとついている。枝は花にほぼ埋め尽くされるように伸びているが、枝垂れている様子はないので、そういったところからも生命力を感じる。
ほっそりしているのにやけに力強く、まとまりがある。窮屈に花が咲いているのに伸びやかな雰囲気も漂う、そんな木だった。周囲を見渡してもここにしか植えられていないようであるので、駐車場の管理人か土地の所有者かが植えたものなのだろう。何という品種なのだろうか、などと考えていると、
「あら、その木が見えるの?」
近くから声をかけられた。その声の方を見ると、おばあさんが立っていた。白髪がやけにきらきらとして、背筋が真っ直ぐ通ったおばあさんだった。身長は自分よりやや低いくらいで、笑みが非常に穏やかだ。最初に話しかけられた瞬間に抱いたイメージ通りの人だったので、いきなり話しかけられたことよりもそっちのほうにびっくりしてしまった。
おばあさんは「驚かせてしまってごめんなさい」と頭を下げる。いや、そっちで驚いたんじゃないんです、おばあさんが声のイメージにあまりにぴったりだったものでつい……などとべらべら喋るとさすがに気持ち悪いので、色々弁明したい気持ちを押し殺し、「……いえいえ!」と笑みを浮かべて返した。この「……いえいえ!」には(本当は違うんですけどそれを説明しようとすると長くなるんです、ごめんなさい! 気付いて!)という気持ちを込めた。多分おばあさんには伝わっていないだろう。何なら、「きれいな木ですね、何ていう木なのか知らないんですけど」と自分がすぐに次の言葉を発してしまったので、おばあさんは考える余裕もないまま会話をすることになっただろうし。
自分は初対面の人との会話が本当に苦手だ。具体的には、どこまで喋っていいのかと、適切な間がどのくらいなのかが分からない。自分は普段行っている会話のリズム感を全ての会話に適応しようとするきらいがあるので、誰が相手でも矢継ぎ早に喋るし言わなくても伝わりそうなことはガンガン端折る。だから時折ありえないくらい会話に失敗してものすごくへこむ。かといって適切な会話の距離感を探る小手調べのパートをやるつもりはまるでないため、コミュニケーション能力がこれ以上成長しないことももう確定している。いわゆる詰みだ。これ以外にも詰んでいることはいっぱいあるのだが、それはまたいずれ話そうと思う。
でもここで奇跡が起きた。おばあさんはここで「え、今なんて言ったの?」とか「喋るのがはやいわねぇ」とか言わなかったのである。
「この木ね、選ばれた人にしか見えない木なの」
代わりに「え?」と言ったのは自分だった。おばあさんは懐かしむように木を撫でる、その目がどうも嘘をついているようには見えなかったので、一旦受け入れることにした。おばあさんは木を見つめたまま続ける。
「うちの旦那がね、植えた木なのよ、これ。旦那はもう死んでしまったのだけれど、お金以外のものは遺したがらなくてねぇ、形見と呼べるようなものは何も家にないの。唯一遺していったのは駐車場になっちゃったこの敷地と、この木だけ」
旦那さんは持病が悪化して十年ほど前に亡くなったらしい。モノに対して執着のない人で、結婚したときから家の中にはほとんどおばあさんのものしかなかったそうだ。
「この木も自分が死ぬかもしれないって分かった頃に植えたのよ。その頃にはもう仕事も辞めていたのだけれど、持っていた土地を駐車場として貸し出ししていたからお金には困ってなかったわねぇ。あの人が苗木を買って帰ってきたときも最初は驚いたのだけど、駐車場に植えるんだ、って言われてすぐ納得したわ」
あの人、徹底して家に物を置かないから、そっちか~って。おばあさんは楽しそうに旦那さんとの思い出を語って聞かせてくれる。
自分はこういうとき、相づちを打ちながら(会話が楽になってラッキー)と思うという、あまり良くない傾向がある。自分の話をとにかくする人と会話をするときは、相づちさえ間違えなければ会話は一生続くものである。自分は自分の力で話を広げるのがとにかく苦手で、こういう人の存在はとにかく助かる。相手が「こいつ全然喋らないじゃん……」と思っていないことを願いながら、相手の邪魔にならない相づちを打ち続ける。適度に会話のラリーを楽しむのと、途切れずに相手に話し続けさせるのは、果たしてどちらの方が苦しいのだろうか。
こんな内省をしている間にもおばあさんは愉快に思い出話を続け、自分は相づちを打ち続ける。相手によっては適度に質問を挟まないと話が展開しないことも多々あるが、おばあさんはそんなことをしなくても話をし続けてくれた。もしかしたら自分の話を聞いてくれる人が周りにあんまりいないのかもしれない。
「うちの旦那はものにはこだわらないんだけど、思い出とかそういうのは大好きなの。だからいろんなところに行って、いろんなことをしたわ。日本だけじゃなくて他の国にも行ったし、行く先々で食べたことがないものを食べたり、したことがなかったことをしたの。でもお土産とか写真とか、そういうのは一切なかったわね。『思い出があればいい』って言って」
へぇ~、という相づちを、(あなたの話に心の底から興味があります)という意味を込めて打った。おばあさんは終始穏やかな表情で、時折木を撫でた。
「この木はね、旦那が認めた人にしか見ることができない木なのよ」
二度目の「え?」だった。このおばあさんは木の話になると途端に変なことを言う。さすがに気になって、適当な相づちを打って話を流す気にならなかった。というか、ここできちんと追求しないと分からずじまいになりそうである。
「でも自分、おばあさんの旦那さんとは多分面識ないと思うんですけど」
「きっとないわねぇ。でもそういうことじゃないのよ。今までもそうじゃなかったから」
きっと自分の頭の上にはたくさん「?」が浮かんでいただろう。おばあさんもそれに気付いたようで、「ふふふ」と愉快そうに笑った。人にいたずらをしかけて、その人がいたずらに困惑しているのを見たときの笑い方に近かった。
「この木はね、私がさみしくなったら何の前触れもなく咲くの。季節も時間も関係なく、突然よ。それでね、そのときに必ず一人だけ、この木が見える人が現れるの」
あまりに嘘っぽかったが、おばあさんの言葉にきっと嘘はないんだろうな、と思った。これは実際おばあさんと話してみないと分からないだろう。おばあさんの顔なのか声色なのか話し方なのか、理由は分からないが、どうしてもおばあさんの話が嘘だとは思えないのだ。
「私ね、なぜかこの木が咲くときはそれが分かるの。何をしていてもどこにいても、『あ、今花が咲いたな』って。寝ているときに気付いたときもあったわ。そして木の方に行くと、一人だけこの木に咲いた花に気付く人がいる」
相づちを打つのも忘れておばあさんの話に聞き入る。軌道修正をせずともおばあさんは聞きたいことを教えてくれる。昔話を孫に聞かせるように、いたずらのネタばらしをするように。
「花が見える人はみんな全く面識のない人だった。今までたくさんの人がこの木に咲いた花に気付いて、私が話しかけると最初はびっくりするの。でもどのお方も、私が話す思い出話を不満げな素振り一つせず聞いてくれた。どんなに長くなっても、じっと。人によっては笑ったり泣いたりしながら、でも一切私のおしゃべりを遮ってこないの。おかげで毎回満足して話をしきることができて、すっきりした気持ちで家に帰ることができる。旦那は全く物を遺していかなかったけれど、そんなものを遺さずとも、思い出を話すこと場さえ用意していれば私は大丈夫だって、気付いていたのかしらね」
自分はこれになんと答えたかあまり覚えていない。ただ胸がいっぱいになって、「ありがとうございます」と言ったことだけは覚えている。今まで雑に会話を乗り越えることしか考えていなかったが、それが期せずして役立つ瞬間が来たのだ、という感慨で心が温かくなった。
自分はその後もおばあさんの思い出話を聞いた。おばあさんの話があった後も無難な相づちを打ってはおばあさんにひたすら話をさせるコミュニケーションを取っていたが、このときは「この場ではそれが最適なんだ」という自信があって、堂々と相づちを打っていたように思う。
気付けば空が橙色に染まっていた。「あら、長話しすぎてしまったわね」とおばあさんは自分の手にミカンを握らせると、「お元気で。花が咲いても咲かなくても、またおしゃべりしましょうね」といって去って行ってしまった。自分もお別れの言葉を言おうとしたが、おばあさんがあっという間にいなくなったのでびっくりした。
とりあえず家に帰った。かなり長い間立ち話をしていたので足腰がほどよく疲れている。
晩ご飯の用意をする前にミカンをつまむことにした。酸味より甘みの主張が強くて美味しいミカンだった。ぱくぱくミカンを食べながら、おばあさんのことを思い出す。またいつか、おばあさんがさみしくなったときにあの木は花をつけて、誰かがそれに気付くのだろう。
その誰かは別に自分でも、そうでなくてもいいと思った。あの木に救われたのは、おばあさんだけではないのだから。
隣人
隣の部屋の住人から野菜を貰った。土曜日の夕方頃のことだった。
今住んでいるアパートは小さく、三階建てだが部屋が十ほどしかない。アパートによっては大家さんが良くしてくれたり、隣の部屋の住人が作りすぎた料理を持ってきてくれるようなところもあるようだが、うちのアパートにはそれは一切ない。大学進学とともに住み始め、就職してもなお変わらず住み続けているためもう十年近くになるが、隣の部屋に誰が住んでいるかとか、大家がどんな人なのかとか、そういうのはまるで分からない。他のアパートがどうなのか知らないが、まぁドライというか、ビジネスライクというか。自分は別に人付き合いをしたくないので、割と都合のいいアパートだと思っている。
だから隣の部屋の住人から野菜を貰ったというのはなかなか衝撃的な出来事だった。我が家のインターフォンを押すのは宅配業者しかいないため、「隣の部屋の者なのですが……」と言われたときは驚いた。
「すみません、少しお時間よろしいでしょうか?」
インターフォンから聞こえた声は落ち着いたものだったが、この時点ではまだ苦情の可能性があったため油断は出来なかった。恐る恐るドアを開けると、柔和な笑みを浮かべた若い男性だった。体の前で、小さな段ボール箱を抱えている。
「あの、このたび隣に越してきた○○と申します」
落ち着いた声は直接聞いても変わらなかった。隣の部屋の住人に挨拶をする文化は知っていたが、実際にされるのは初めてだった。というか自分もしたことがない。あのときは大学進学に伴う下宿に舞い上がっていたり、しなければならない作業に追われたりで何となく忘れていたのだった。見たところ目の前の男は大学生辺りだろう。しっかりしている。
いつの間に越してきたんだろう。昼間は仕事をしているが、だとしても引っ越しがあるとごちゃごちゃするので、近くの住人は察しがつくものである。隣の部屋だとなおさらだ。口には出さないがそんなことをぼんやり思っていると、
「これ、うちで作っている野菜なんですけど、もしよろしかったら」
あ、うちっていうのは実家なんですけど、などと朗らかに言いつつ、男は段ボール箱を差し出してきた。箱は丁寧にガムテープで留められていて中が見えない。側面には地方都市の農協の名が記載されている。彼の実家がある場所なのだろう。その地方の特産に覚えがあまりなかったので尋ねると、
「トマトです。うちの地域だと作っている農家は珍しいんですけど、実は生育条件は整っていて」
優しく教えてくれた。「苦手でしたら一応他のものもあるんですけど……」と申し出があったが、別に苦手と言うほどのものでもなかったので素直にいただくことにした。
「うちのトマト、苦手な人でも結構いけるって評判なんです。これからよろしくお願いします」
トマト農家がこぞって言うフレーズとともに、男は去って行った。受け取った段ボールは見た目よりずっしりしていた。
部屋に戻って早速封を開ける。感じた重みに違わず、中には結構な量のトマトが入っていた。皮がピンと張っていて、今にもはじけそうである。このアパートには基本一人暮らしをするような人間が集まっているはずだが、これは明らかに一人の人間が消費することを想定していない。これだけ多いと消費しきれないかもしれないな、職場に持って行って配るか? などと考えつつ、スマホでトマトを大量に消費できそうなレシピを検索する。トマトは別に食べられないという訳ではないが、自分から進んで食べるという訳でもない。嫌いではないのだが、好きというわけでもない。供されれば食べるし、そのときは普通においしいと思ったりもするが、同じ料理を作るためにスーパーでトマトを買うかと言われればノーと答えるだろう。自分はそういう食べ物が多くある。差し出されたものは敬意を持って全て食べるべきである、という自分ルールがあって、好き嫌いで残したりすることをダサいと思ってしまう。今更別に食べられないものを残したって誰も何も言わないだろうが、このルールは結構自分の中で幅をきかせている。「食べられないものがあるなんてダサい」と人に思われるのが嫌なのかもしれない。
などと考えているうちにいくつかレシピを見つけたので、早速作ることにした。あまりトマトが原型をとどめているものは作る気にならなかったので、カレーを作ることにした。調理はスムーズに進み、キーマカレーが完成した。レシピに書いてあった量よりトマトの量を増やしたが、それでも問題なく完成した。
いざ実食。美味い! カレーの味で大分誤魔化されているというのもあるだろうが、それにしてもトマトの風味がかなり良い。トマトの酸味は予想していたよりもなく、代わりに甘みとうまみが深い。大目にトマトを入れたことが良い方にはたらいて、カレーを一段と美味くしている。気づいたときには皿は空になっていた。
トマト農家がこぞって言う嘘のようなフレーズも、今回は正解なのか? トマトを一つ手に取ってみる。普段は生のトマトにかぶりつくなんて絶対にしないが、ものは試しでかぶりついてみる。う、美味い! 生で食べてみると、酸味が抑えられていることがよりはっきりと分かる。代わりに甘みが強く、果肉を噛めば噛むほど、うまみが口に広がっていく。以前フルーツトマトを食べたときにその甘みのなさに絶望してからというもの「甘いトマト」というものの存在を否定していたが、このトマトは紛れもなく甘いトマトである。フルーツトマト農家はこのトマトを見本にすればいい、と思わず独り言を言うくらい、このトマトを気に入ってしまった。
あっという間に一つ平らげ、そのまま二つ目に手が伸びる。二つ目も変わらず甘みの強い、美味しいトマトである。鮮度がいいからこんなに美味いのか? などと考えているうちに、二つ目も食べ終わってしまった。そのまま手は次のトマトに向かう。手や口が汚れるのもかまわず、そのままかぶりつく。美味い、美味すぎる! 薄い皮がはじけ、中から果汁が溢れる瞬間がこれほどまでに気持ちのいいものだとは思わなかった。そもそも自分がトマトを好んで食べなかった理由には食感も含まれていたのだが、このトマトはそれすらもクリアしてくる。気づけばこのトマトに歯を突き立てて、この心地いい食感を得たいと思ってしまう自分がいた。その後も手が一切止まることはなく、あっという間に段ボールは空になっていた。
しばし放心状態のまま、トマトの美味さを噛みしめた。向こう数年分のトマトを一度に食べたのではないかと思うほどの量を平らげたが、なぜかお腹がいっぱいになった感覚はなく、目の前に同じトマトが出されれば平気で食べられそうな気さえする。凄いものをいただいてしまった、という衝撃が落ち着くまで、しばらく動けなかった。
ようやく放心状態が落ち着いてきて、汚れた手と口を拭っていると、だんだん彼にお礼を伝えたい気持ちが湧き出してきた。もう住人たちへの挨拶回りも済んでいるだろうし、さすがに部屋にいるだろう。もしかすると、彼も今頃同じく実家のトマトを食べているかもしれない。何せ自分はこれだけ貰ったのだ、彼自身が食べきれない量貰っていて、それを配っているだけだという可能性は十分にある。
お礼ついでにトマトの品種なども聞きたいな、などと思いつつ立ち上がろうとしたとき、上半身に違和感を覚えた。なんだか服がきつくなっている。太ったか? と思ってお腹をさすったが特に普段の食後と変わらない。胸元をさすっても何も変化は見られない。なのに服は今にも破れそうなほど膨らんでいる。一体何だこれは?
服を脱いでみることにしたが、何かが引っかかって上手く脱げない。どうやら異常は背中にあるみたいで、触ってみると何かが膨らんでいた。無理矢理服を引っ張ってなんとか脱ぎ、自分の体を確かめる。服や自分の腹部、胸部に特におかしなところはないため、異常は自分自身の背中にあるということになる。
おそるおそる背中に手を回すと、肩甲骨の辺りにふんわりとした触感を感じた。この手触りには覚えがある。二年ほど前、友人に誘われて行ったフクロウカフェ。やけに人なつっこいフクロウがなでさせてくれた、あの手触り……。確認するために鏡の前に立ち、確認した。私の背中に、紛れもなく羽が生えていた。
羽はやや灰色がかった白色で、肩甲骨ぐらいの高さの背骨付近から垂れ下がる形で生えていた。腰まで伸びていて、見た感想としては「立派」だった。しかし立派と言っている場合ではない、何せ羽が生えているのだ。多分普通の人間には羽なぞ生えていないはずだ。もう一度手を後ろに回してみると、先ほどと何ら変わらない感触が得られた。
ここは一度冷静になっておいた方がいい。一つ深呼吸をすると、視界の片隅で羽が揺れ動くのが見えた。服を脱いだ瞬間は気づかなかったが、自分に生えた羽は結構大きめであるため、普通にしていてもその存在が確認できるようである。少し首を傾けるとしっかり羽が見える。何度見てもきちんとその姿を補足できるところから考えるに、どうも羽が生えていることは事実のようである。どこか他人事のように思えるのは、まだ自分が冷静になりきれていないからだろうか。そう思うと急に焦りが心の内から湧き上がってくるような心持ちになった。体の芯からじわじわと。ようやく自分の脳が、事態を深刻に捉え始めた。
ここまで一言も発さなかった自分が最初に発した言葉は、「どうしよう」だった。どうしよう、と言うとどうも自分が悪いことをしたような感覚があるが、今回に限っては自分には一切責任がない。とはいってもこの状況が好ましいわけではなく、そして解決策もない。背中に羽が生えたとき、どういうアプローチを取ればいいのだ。
アプローチという言葉まで思い至ってようやく、何か行動を起こそうという気になってきた。この羽を根本から引き抜けるかというところから試みようとしたが、羽の先端部を掴んだ瞬間に明らかに骨の感触がして、思わず「だめだ」と呟いてしまった。これが二度目の発言。「どうしよう」と「だめだ」としか言っていないような人間が事態を好転させられるわけがない、と思っているうちに、次第に何とかしようという気概がなくなってきた。そもそも急に生えてきたくせになぜ骨が備わっているのだろう。鳥の骨格標本のイメージが急に脳裏をよぎる。あれが自分の背中に生えているって、すごいことだな。思考がだんだん雑になってきて、心底解決を諦めていることが自分事ながら分かってきた。
ぼんやりとした思考の中で、先ほど自分にトマトを渡してきた男の顔が浮かんできた。落ち着いた声と柔和な笑みを思い出していくうちに、そもそもは彼のくれたトマトを食べたのが原因なのではないか? という考えに至った。これは核心をついた案のような気がしてくる。そもそも自分があんなにトマトに夢中になることなんてないし、あのトマトに何かおかしな作用があるのではないか? 食べたら羽が生えてくるトマトなど聞いたこともないが、あの地方でトマトが作られていることなんて聞いたことがないし、何かそういう、不思議な効果をもたらすとんでもないトマトを彼ら一族だけが作っている、という可能性があるのでは?
荒唐無稽な発想もし続ければだんだん自分の中でも強固な説得力を帯び始める。あとで冷静に振り返ってみれば飛躍の多い論理も、そのときの自分にとっては日常と地続きの自然な展開なのであった。何せ自分には羽が生えているのだ。これよりおかしなことなんて、世界にそうないだろう。
立ち上がって、「よし、聞きに行こう」と呟く。三度目の発言にしてかなり前向きな言葉が出た。そもそも羽に気づくまでは彼の部屋を訪問するつもりだったのだから、これはある種、もとの方向性に戻ったとも言える。大きく違うのは、自分はこれから彼を糾弾しようとしているということだ。感謝しようとしていた先刻とはえらい違いだな、などと考えながら服を着ようとして、背中につっかえる羽。先ほどは服を着ている内側からギチギチになりながら羽が発生していたために、いざ同じ服を着ようとすると普通の努力では羽が押し込めないのである。思わず「着れないじゃん」という言葉が口をついて出た。四分の三が情けない独り言。独身が私生活でいかにさみしいかが伺える。
結局少し大きめのサイズのTシャツを何とか着ることに成功し、ついでにダウンジャケットを羽織ることで羽の不自然さをカモフラージュして部屋を出た。彼の部屋は隣だから、用事はすぐに済むはずだ。
とはいえ近所付き合いなど皆無の我がアパート、どの部屋に人が住んでいるのかがそもそも分からないため、隣の部屋といってもどちらに彼が住んでいるのかが分からない。情けない問題だな、と頭をかきつつ、まず出て左側の部屋に向かう。
部屋のインターフォンを押そうとして、インターフォンにシールが貼ってあるのに気づいた。シールにはおそらくそこに住んでいるのであろう人の名字が書かれている。先ほど聞いた彼の名字と異なっている。彼が引っ越してくる前の住人のものがそのまま残っている可能性も考えたが、一旦飛ばして反対側の部屋を見に行くことにした。
右側の部屋に向かうと、まずドアの郵便受けに薄緑の養生テープが貼られてあるのが目に入った。まだ入居者がいないときに、郵便物を入れられないようにするときのものである。引っ越して間もない彼が、剥がすのを忘れているのだろうか。
次に目に入ってきたのは、電気と水道の契約をするための書類が入った袋が、ドアノブにかかっている光景である。自分もこの部屋に来たときに同じ光景を見ているので、中に何が入っているのかは一目で分かった。ただおかしい。これは生活をしていく上で相当重要な書類だから、いつまでもここにかけておくはずがないのだ。
おかしいな、と思いつつインターフォンを押す。返事はない。ドアをノックしてみるも、返事はない。このことから分かることは、彼が今外出しているか何かで出られない、もしくはこの部屋にはまだ入居者がいない、ということだ。
そうなると先ほど訪問を諦めた左の部屋に彼がいるということになるが、再度インターフォンを押しに行こうとした瞬間、まさにその左の部屋から人が出てきた。トマトをくれた柔和な笑みなどどこにも見られない、くたびれた中年の男だ。髭も整えず、やや猫背。上下灰色のスウェットを着て、虚ろな目でスマホを見つめながら、突っかけのつま先を床で叩いて整えている。男もこちらに気がついて、ばちっと目が合った。
「あ、あの」
話しかけようと思ったが言葉が出てこない。何せ今日ロクに言葉を話していないのだ。男はまだこちらに視線を向けているが、虚ろな目の中にどこか鬱陶しげな感情が読み取れる。
「最近ここに引っ越してきましたか?」
慌てて質問をしたが、質問をしながら思った。こんなナリでこれから外に行こうとしている人間が、最近引っ越してきたわけなどない。案の定男は「違いますけど……」と呟いて、そそくさとその場を離れようとした。
「じゃ、じゃああの、最近引っ越してきた人から何か、野菜とか貰ったりしましたか?」
「いや……そういうのは……なかったっすね……」
会話は終わった。こんなのを会話と呼んだら世間できちんと会話をしている人たちに失礼かもしれないが、ともかく男はぶつぶつと質問に答えると、さっさとその場を離れていってしまった。
自分は部屋に戻った。ジャケットを脱ぎ、スマホを取り出すと、アパートの管理会社に電話をかける。せずに確認できればそれで良かったのだが、こうなったからにはもうこの手段を使うしかない。自分は普段からちょくちょく管理会社に電話をするので、かけること自体にはあまり抵抗がない。電話の目的は様々だが、基本的に優しく対応してくれるので、気兼ねなくかけられる。
電話に出た声は、お姉さんと言うよりはおばさんっぽかった。いつものように部屋番号と名前を言う。「どうしましたか?」と聞いてくるおばさんと思しき女性に要件を伝える。
「あの、○○○号室に最近誰か引っ越してきましたか?」
右側の部屋の番号を伝える。この言い方だとなんだかクレームみたいに思われてしまうかもしれないから、そういうことを言われたら上手いこと誤魔化さないとな、などと考えていると、返ってきた答えは予想とはまるで違うものだった。
「いえ、その部屋にはここ二年くらい誰も住んでいませんよ?」
適当に話を誤魔化せたかどうか記憶があまりないが、電話を切り、その後自分はかなりの時間呆然としていた。脳内では様々な擁護の思考が渦巻く。隣の部屋というのは実は彼の勘違いで本当は向かいの部屋だったとか、フロアが違っていたとか、色々。でもそんな薄い擁護を思いついている間にも、彼の不在とやけに美味かったトマトと背中の羽が最悪の展開を脳内に描いていく。浮かんだシナリオはどんどん色鮮やかなリアリティを持ち始め、やがてメインストリームの考察として眼前に立ち現れていく。
よもつへぐい、というものがある。あの世の食べ物を食べると、この世に戻ってこれなくなるというものである。厳密には違うにしても、自分が出くわしたのはこれに似たような現象なのではないか? 彼はこの世の存在ではない。彼が持ってきたトマトもこの世のものではない。私は異界のトマトを美味い美味いと食べ続けたせいで、この世のものと異なる異形に変化してしまったのではないか?
……よそう。これ以上考えても暗い気持ちがどんどん深まっていくだけだ。なぜ、とかどうして自分が、とかは考えても仕方がないし、これからどうしていくかを考えた方が建設的だ。
そして建設的な思考をするには今の自分は疲れすぎた。なんだか今になってお腹がいっぱいになってきた気もするし、なんなら胃がムカムカしている、おそらくこのムカムカはストレス由来のものだろうが。ここは一度寝て、後のことは起きてから考えることにしよう。風呂にどうやって入るかも考えたくない気分だ。今、この瞬間に寝よう。
寝付くまで一瞬もかからなかった。パソコンを無理矢理シャットダウンするように、全身が活動を中断した。
夢を見た。小学生の中学年頃の記憶をなぞる夢だった。夢の中で、自分はこの体験を実際にしたという自覚があった。明晰夢に近い夢だったのだろうが、その夢の中で自分は自分の意志で行動をすることはできなかった。自分の意識と肉体は全く別のもので、肉体が勝手に行動していくのを意識の自分が傍観する構造だった。コックピットの中から、乗った機体が勝手に行動するのを見ている感覚に近かった。
幼い頃の自分は、ジャングルジムの一番上に上って、空を見上げていた。隣には二人、友達と思われる子供がいた。顔ははっきりと見えなかったが、彼らは自分の友達だった、ということだけは分かった。二人とも同じように空を見上げている。
「すごく高いところまでいけて、鳥がうらやましいなぁ」
「ぼくらはここまでしかいけないのに」
「学校の屋上より高いところにいきたいなあ」
自分たちは同じようなことを口々に言い合っていた。ジャングルジムには滑り台がついていて、しばらく空を見上げた後、友達の一人がそこから下に滑り降りていった。
「羽があったら飛べるのかな」
残った一人に自分が話しかける。自分は当時そこそこ知的好奇心があったので、鳥が飛ぶ仕組みのすごさは本で読んで理解していたと思う。自前の翼で自分の体重を支えて飛ぶためにはとんでもない量の筋肉が必要だから現実的ではないということも知っていて、そんなことを言った。ポエミーでセンチな気分にでもなったのだろうか。幼き日の追体験としては、自分の脳はなかなか恥ずかしいシーンを選んだものである。
「どうなんだろうね」
その友達はまだ空を見上げたまま言った。
下から先ほど滑り降りていった友達が呼ぶ声が聞こえる。自分はそれに返事をし、慎重に滑り台の方に向かっていく。滑り台に腰を下ろし、今にも滑ろうかというタイミングで、後ろから友達の声が聞こえた。
「いつか羽をつけてあげるから、試してみなよ」
友達の方を振り返った瞬間、目が覚めた。目が覚める寸前に見た友達はまだ空を見上げていたが、その口元には柔和な笑みが浮かんでいたような気がする。
体を起こし、背中に手を回す。羽はすっかり無くなっていて、空っぽの背中を撫でるばかりだった。時計を見たが、自分が眠りに就こうとしてからおよそ十分も経っていなかった。
「何だったんだ、まったく」
声にならない声で呟きながらのそりと立ち上がり、ベランダの方へと歩いて行く。日はもうすっかり落ちきっていたが、西の方はまだ仄明るい。目をこらしても星は見えず、東の空には深い闇が広がっている。
「俺はもう、無くても飛べるんだ。心配はいらないよ」
東の空に呟いて、ベランダを後にした。
すべて
そいつは、規律正しい男だった。
ルールを破らず、人と協調し、健やかに生きる男だった。誰もが彼と協調して仕事をすることを望み、彼もまた、それに応えた。彼の周りには人が集まり、彼もまた、それを喜びとして仕事をしているように見えた。
ある日、そんな彼が職務中に倒れた。過労だろう、人に任せるべき仕事を、自分が一手に引き受けたことが原因だと、周りの全ての人が言った。彼は一日仕事を休むと、次の日には何事もなかった顔をして職場に現れた。
「それがルールだからだよ。元気になった者は、仕事をしなければ」
もう一日くらい休んでから来ればいいのに、という私の言葉に対して、そいつはこともなげにそう言うと、机上の缶コーヒーを一口飲んだ。机上のPCには、昨日の遅れを取り戻さんとばかりに大量のウィンドウが表示されていて、私は気づけば小さく唾を飲んでいた。
そいつは結局、昨日の遅れをばりばりと取り返し、あっという間に仕事を終えて帰っていった。帰り際、「失礼します」という彼に対して、周りは親切に声をかけていたし、彼はそれに律儀に応えていた。
自分もややあって仕事を終え、帰ろうとしたとき、トイレの前を横切ろうとしたところ、「おい」と呼ばれる声がした。男子トイレの方を覗くと、「なあ」と手洗い場から手を振るそいつの姿があった。
「タバコいこうぜ。一緒に帰ろう」
そいつに言われるまま、一緒に帰ることになった。夕方にしてはやけに薄暗いなか、コンビニの横の灰皿を囲んで、タバコに火をつける。コンビニで買った缶コーヒーをあけながら、そいつは「いやあ、疲れたね」と言った。職場では聞くことのなかった愚痴を、この男からこうやって聞くことがままあるのだ。あまりこいつの言葉からは疲れている様子は感じ取れないのだが、こういっているからにはおそらく本当なのだと、今までの付き合いから私は学んでいた。
「やはり仕事というのは疲れる。今回は特に」
缶を地面に置きながら男は息を吐く。倒れたのは過労だと言われているが、と聞くとそいつは決まりの悪そうな笑みを浮かべて、
「んーいや、それを理由にしちゃあお仕事はできんでしょう」
と頭をかいた。
「仕事なんてのはできるやつがやっちゃわないとどうしようもなかったりするだろう。今回はそれが俺だっただけだよ。普段は他のやつも割りを食ったりしているしな」
嘘だな、と私は思った。そういうときは、たいていそいつしか頑張っていないからだ。そういうなら、もっと仕事も割り振れたはずだし。
「正論だな」
思ったことをそのまま伝えると、頭が痛いよ、とそいつは笑う。タバコを早く吸い終えて、二本目に火をつけようか、というところだった。
そいつは、入社したときから真面目だった。挨拶を大きな声でしたり、コミュニケーションを積極的に取ろうとするやつだった。次第に彼は職場内での人望を獲得し、今の地位についている。
ただ絶望的に、仕事を人に振れないやつだった。自分がした方がはやい、などと言ってよく残業するようなやつだった。だから周りが彼の不調をそういうふうな目で見るのは当たり前だった。
私は彼をただ見ていただけだった。同期で入社したもののたいした接点はなく、こうして仕事終わりに一緒にタバコを吸う程度の仲だ。だから彼が倒れた時に、私は何をするでもなく、かわいそうだな、と思った。かわいそうなやつ。仕事を周りに振って、もっと休めばいいのに。
「ただなぁ」
そいつは煙を吐き出して、言った。まだダメージは残っているのだろう、くたびれた声だった。
「多少損をしてでも、俺は楽しく生きていきたいんだよ。仕事が終わらないのもしんどいけど、それよりも、周りが嫌な雰囲気で仕事をしているのを見るのがしんどい」
すでに日は落ちて、夜が辺りを包み込みだしていた。車が音も無く、目の前を通り過ぎていく。
「周りには適切に仕事を振ってるんだよ。できることを、少しずつやってくれればいいと思っているからな。無理に仕事をさせて、苦しめる方が俺は嫌なんだ。だから倒れちまったのは、別にしょうがないんだよ。俺が俺のためにやったことで、俺が勝手にダメージを食らっただけだ」
でも、それはダメなことだろ、管理職だって許してくれない、という私の声は、そいつには響かなかった。彼は私に少し微笑みかけたかと思うと、すぐさま視線をタバコに落とした。
「俺は、そうやって人付き合いをしている。少なくとも、そうしたい、と思っている」
また車が目の前を通り過ぎる。風が体を通り抜けたあとで、そうか、と私は言った。
そいつはそれからもなんてことない顔をして職場に現れ、そつなくコミュニケーションをとり、仕事を多くこなしていた。あの話を聞いてからも、彼が特に仕事を周りに多く割り振っている姿は見られない。でも、私は前ほどそれを気にしなくなっていた。かわいそうではある。でもそれが彼の選んだ人付き合いで、仕事なのであれば、そういうのも、別にいいんじゃないかと、そういう思いで彼を見るようになったのだ。
あの後もそいつと仕事終わりが被ればタバコを吸いにいく。多く話をしてきたが、あの日ほど、彼が自分の話をしたことはなかった。それがそいつのすべてだったのだろうと、私は思う。